お化粧
きっと、他の人からすれば決断、なんて大それたものではない。
けれど私にとっては、自分の中の偏見を取り払う大きな一歩。
お化粧を、することにした。
私は女の子じゃない
お化粧は大人の女の人がするものだ、という幼い思い込みがあった。
自分の戸籍は女性。
身体も、まあ、生物学的な判断で言えば女性。
ここまでは揺るがぬ事実だし、自分でもそれを認めている。
それでも、自分が女性であると言い切れない「違和感」があった。
違和感を抱えながら成長し、高校時代に「Xジェンダー」という概念を見つけた。
「男でもなく、女でもない」
「男でもあり、女でもある」
「男の場合もあるし、女の場合もある」
「性別なんてない」…などの考え方を包括する概念である。
私はこの概念の「男でもなく、女でもない」という部分に最も共感を抱き、以降数年間生きてきた。
しかしながら、というべきか。だからこそ、というべきか。
化粧=女性のもの
という幼い思い込みがあるがゆえに、長年「化粧をする」という行為を可能な限り避けていた。
化粧だけに留まらない。かわいい洋服やスカート、成人式で振袖を着ること、髪の毛を巻く、女性専用車両に乗る、など、およそ女性であることを意識してしまう言動やイベントから逃げていた。
お化粧したくない、のではない。面倒…なのはちょっとだけ本音だが、
「お化粧なんて自分には不自然だ」「お化粧は自分がして良いことじゃない」
「だからお化粧することは恥ずかしい」
そんな思いから、多少迷いつつも「化粧」という行為からずっと逃げていた。
一方で、逃げてはダメだ、という思いもあった。
なぜなら、私は社会人になってしまったのだから。
社会人=女性は化粧をしなければいけない
という考えなんてクソくらえ、と思う反面、「身だしなみとしてやらなければいけないよな…」と諦めている自分もいた。
(自分は女性じゃないから、化粧は不自然。似合わない。恥ずかしい。)
そんな想いを抱えつつ、半年くらいは化粧を頑張った。
半年経過したころにはすっぴんで会社に行くようになった。
怒られたら化粧しよう。そう思っていたのに、だれも私に化粧をしろと言ってこない。
意外だなあと思いながら、これ幸いとすっぴんで社会人になって4年目の春を迎えた。
転機
たまたま、髪の毛をバッサリ切った。
美容師のお姉さんに「短くしてください」と言ったら思った以上に短くなっていた。
鏡を見た瞬間、顔がにやけた。
「この自分、めっちゃ好きだわ」
この髪型の自分が好き。
この髪型に似合う表現をできたらもっと自分を好きになれるのではないか、そんな思いがふつふつと湧いてきた。
女性に成るためじゃない、社会人に成るためでもない。
私が「理想の私」に近づくために、化粧がしたい。
あれだけ忌避していた「化粧」という行為を、今では自ら選んで行っている。
今でも自分を「女性」とは思っていないけれど、かっこいい大人にはなりたいな、と思っている。
そのための手段として、明日も私は化粧をする。そう、今は決めたのだ。